アトリエわじま絵画塾

 ☆函館市桔梗教室(函館市桔梗町,函館蔦谷書店から徒歩2分) ☆大沼高原教室(森町大沼高原(函館蔦谷書店から車で約25分,高速道路・大沼インターチェンジより2分、新幹線駅から車で12分)

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<169-F200号制作過程;題名「フェローチェ」>
F200号制作過程。最後の仕上げへ描き込みと微調整
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 前回のエッセーで、人は“文法”(仕方、方法)を作りたがる、と述べた。が、しかしピカソもブラックも、根は自由な芸術家である。その後、彼らは自ら作り上げたキュビズムという堅苦しい文法を乗り越え、破壊し、ぞれぞれの自由な感性表現を取り戻していく。
 しかしながら、このキュビズム的視覚文法は、第1信号系の内的世界、すなわち知覚そのものへ突入する契機となり、美術史でいうモダニズムの本流を築き上げていく。そしてそこから生まれてくる抽象画とは、この論の流れからすると、脳の世界の“具象絵画”に置き換えられよう。カンディンスキーやモンドリアンは抽象画家ではなく、具象画家であるのだ。これらの表現が脳の視知覚野で実際に起こっている事象、それも視知覚野の中のさらに微視的で局所的で要素的な事象であることは、過去にクドクドと文献研究を通して調べ上げた(広大な砂浜のなかの一粒の砂のようなものかもしれないが)。2016年3月15日の絵とエッセー16「見えるから見るへ~視知覚ルートを探求する」から11回に渡って記載した。
 また2017年6月5日の絵とエッセー120の「末梢も中枢も一蓮托生」で養老孟司氏の仮説を紹介した‥「同心円の単位、領域からなる網膜での事象が後頭葉の視覚野で一対一対応をみせるということから、ユークリッド(Euclid、ギリシャ)は二千年以上も前に自分の頭を「観察」することによって脳の中に存在する“直線”を発見した。そしてそれを“言語”で表現した」、と。その数学的有り様の言語的表現は、カンディンスキーやモンドリアンでは絵画的表現として表れる。そして現代、神経科学では無侵襲性機器等の脳内探索を通してみごとに実証してくれている。
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<168-F200号制作過程;題名「フェローチェ」>
F200号制作過程。エアコンプレッサーやドリッピング、スパッタリングの作業が続くので、外での作業準備。家の中でコンプレッサー使用した大失敗を教訓に‥
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 このセザンヌの世界をもう少し進めてみよう。「自然を円筒形と球形と円錐形によって扱いなさい」と、外界世界との格闘の末、その本質をこのようにとらえたセザンヌの言葉をピカソらは絵の中に読み込み、その解釈の実践を試み始めるのである。脳の機能局在としての視覚野への還元論の始まりである。
 外界世界を「見る」という行為を通して、否、生涯を掛けた「見つめる」という行為を通してその本質を解釈し、2次元世界へ投射していたセザンヌの成果を、今度はピカソらは次第にその脳内世界を外的世界(キャンバス)へ投射し始める。最も単純な幾何学的形態を自然をとらえる契機と見なし、自然事物からそれを抽出し、あるいは解体していく脳内機能を外の世界、つまり絵画世界へ求め再構築したのである。
 ピカソらのこの行為は、この美術論からすると、人はまたしても新たな視覚文法(=様式)を確立したと解釈する。
 原始の時代、アルタミラやラスコーの洞窟に残された壁画のあの様式無き表現力の生命感溢れる具象的イメージは、永い時を経てルネサンス期に透視図法として確立され、その後はその発明した透視図法という“文法”を通して外界世界を眺め、表現していく時代が始まって行った、と同じように。
 「セザンヌの外界世界をとらえる懐疑や不安と追求」から「キュビズムの分析的手法の確立」へ、つまり自由で躍動的な表現形態から、文法的な約束事を確立する整理へと働くこのパターンは人の脳の持つ性癖なのだろうか!? 個人的に云わせて貰えば、様式無き混沌を混沌のままにしておくことはできないのか!と強く思うのである。その時に人は最も生き生きとした表現が可能となるのではないか。荒野を荒野のままにしてそこを自由に旅する行為と荒野に安心して旅の出来る道路を建設する行為‥芸術の世界だけは前者でありたい。
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<167-F200号制作過程;題名「フェローチェ」>
F200号制作過程。背景に着手。
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 先ずもう一度セザンヌの造形世界から実感してみよう。その世界を希代の美学者であり美術教育学者でもある鬼丸吉弘は、セザンヌの特徴を子どもの外界世界の認識の発達過程に照らし合わせている。鬼丸はR・G・コリングウッドの言説「彼の静物画は、あたかも2つの手で探り回された物体のようである。…彼の室内画も同様であって、鑑賞者は自分がそれらの室内をぶつかり歩いているように感じ、威嚇するように角の突き出ているそれらのテーブルの周りを用心深く廻っているように感じ、それらの椅子をあれほど重々しく占めている人物像に近づいて、手をあげて自分の身を守っているように感じるのである。…彼の風景はその視覚性の痕跡をほとんど失って…。」(鬼丸吉弘「児童画のロゴス」勁草社.1981.p83)を取り上げる。確かに乳児は、ほふく前進やハイハイを通して周りにあるモノを手で触り、持てるものはなんでも口に含め舌でなめ、時には転んで身体をぶつけ、痛い思いをしながら世界を理解して行く。それはまだまだ未熟な視覚性を遥かに超えて、触覚的であり、イメージとして脳内(心の中)に溜め込んでいく。人間の外界の世界認識は実はそこから始まっていくのである。セザンヌは謂わば、そのような触覚による世界理解を再現したのである、と。言い換えると、頭頂葉体性感覚野における世界の実感であり、表現である。しかし、セザンヌの世界はまだまだ視覚性が強い。つまり、第1信号系の外的自然が依然として関与している体性感覚優位の視覚世界、ということが云えよう。
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<166-F200号制作過程;題名「フェローチェ」>
F200号制作過程。水彩の上からペンによる調子付けと描き込みは続く。
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 人の考え方、生き方には様々なタイプがあるだろう。“教科書通り”を踏襲・敷延していくタイプ、つまり過去に築き上げられた道を同様に未来へつなげていく優等生タイプ。それとは逆に教科書はあくまでも“教科書”なのであり、そこから新たな道を開拓していくタイプ、つまり道無き新しい地平を求めようとする反逆児タイプ。ここではどちらが優れているとかいないとかの議論ではなく、単に人の性向を述べるに止めるが、強いて云うとセザンヌは後者に属するのだろうか。いずれにせよ、絵画史の流れは以後永い間、この辺りから大きく方向を変えることになる。“近代絵画の父”と云われる所以だ。
 繰り返すが、この美術論の主旨は、簡単に述べると、「脳は脳のことしか知らない、或いは見ることが出来ない」ということである。拠り所とする基本は「われわれは対象そのものを見ているのではなく、われわれの大脳の神経活動の過程を『見て』いるのである。もっと正確には神経活動が表現する『なにものか』を経験しているのである」(山鳥重)という内容を主とする神経心理学的知見である。
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<165-F200号制作過程;題名「フェローチェ」>
F200号制作過程。水彩の上からペンによる調子付けと描き込みは続く。
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 セザンヌにとって、それまで人類がなんの疑問を持つこと無く当たり前のように感じていた、いわゆる「定点観測」的、つまり透視図法的な視点からの自然観が砕け散っていくように感じたのかもしれない。魑魅魍魎(ちみもうりょう)の跋扈(ばっこ)するこの森羅万象の自然世界が突然、怪物となってセザンヌを襲ってきたのだ。
 セザンヌのこれらの言説(前回掲載)は、確かにメルロ・ポンティ(M・Merleau-Ponty,仏,哲学)が云う「分裂症的」であり、現実に対する手がかりを失っている。しかし、そこから生まれてきたセザンヌの作品は、自明性への挑戦、つまり、これまで当たり前と感じていた、あるいは考えられていた脳内・感覚連合野への懐疑とさらなる挑戦として、現代絵画の根本の問題を提示していたと云える。
 さらにまた「そうだ、ルーブルはわれわれが読み方を習う教科書なのだよ」(「芸術学ハンドブック」神林恒道、他共著:勁草社,1989,p83)。ルーブル宮殿が世界で初めて美術館として公開(1793年)され、その数十年後にそこを見学したセザンヌはこのように云ったという。分裂症的な自明性への不安は、セザンヌ個人の問題であると同時に、過去の美術世界を透視図法的、同時的に見せつけられた時代の必然でもあった。外界の自然世界とは、本当にこうなのか?と‥。そうしてセザンヌは独自の実践へと向かって行く。
 このように、時代の文脈はこの美術論の云う第2の主題、すなわち脳そのものへ進入し、やがて脳内事象そのものを表現していく方向へ進んでいく。
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