アトリエわじま絵画塾

<教室所在地> ☆函館市桔梗教室(函館市桔梗町,函館蔦谷書店から徒歩2分の距離) ☆大沼高原絵画教室(森町大沼高原(赤井川,函館蔦谷書店から車で約25分,森町から高速道路・大沼インターチェンジより1分、新幹線[新函館北斗駅]から車で12分の距離)

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<159-F200号制作過程;題名「フェローチェ」>
F200号制作過程。テーマは音楽。彩色を始める。
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 生き生きとした後頭葉視覚系の情報が活発化するにはルネサンスを待たなければならなかった。依然としてキリスト教の影響下で、主題は文脈的な宗教観に彩られてはいるものの、美術においては、色彩が、形態が、動きが堰を切ったように表出してくる。それは同時的総合空間図式の後頭葉視覚野の復活でもあった。言語によってまとめられ、脳内第2信号系の厳格な規律によって成り立っていた文脈的世界観は緩くなり、外界環境世界、つまり第1信号系を重要とみる世界観が次第に取り入れられていく。そのようにして視覚情報による表現が豊かになっていくのである。
 しかしまた中世の言語での統制があったように、人は視覚野においてさえも視覚野内での厳格な規律を求めようとする。‥二次元表現における「透視図法」の“発明”であり確立である。脳はなぜ斯くも脳に規律を強制するのであろうか。指示する実態はなにか。‥それは本能が、その根底に種の保存のための合目的的な遺伝子レベルでのプログラムがあるように、脳が脳の機能を維持するために脳自身による機能なのだろうか。そのひとつが二次元に、私たちの住む三次元立体世界を押し込めたいとする欲なのであろうか。いずれにせよ、二次元による三次元外界世界の構築においては、言語と同様、しかしそれほど明確でないにせよ、「透視図法」という視覚の文法に因った。その成立がそれまでの長い間の人類の文化遺産(例えば建築)という人的環境にあるのは確かだろう。教会建築の礼拝堂に至る長い廊下に立ってみるとよい。廊下の四方の角の線は遠くで1点に集約される。それを、魑魅魍魎に満ちた外界環境世界の表現にも利用していくのである。「遠くのものは小さく見える」と。言葉と違い、視覚が他の生物同様、第1信号系に拘わるがために、曖昧にされているだけのことである。
 植物を含むあらゆる生物の棲息する地球上の外界環境世界はひとつだろうが、しかしそれはおそらく生物種の数だけ様々な外界環境世界が存在するともとらえられる。第1信号系をとらえる感覚はそれぞれの生物によって異なるのだから、世界もまた違ってくる。 
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<158-F200号制作過程;題名「フェローチェ」>
F200号制作過程。テーマは音楽。水性彩色に0.5㎜のペンでの描き込みをしていく。
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 そして中世。宗教観の表出はキリスト教に変わる。その宗教の特徴は、空間的・同時的というよりは言語的・文脈的である。そのため視覚芸術への熱情は抑えられ、ギリシャ・ローマ時代隆盛だったいわゆる絵画や彫刻は衰退してく。つまり、ギリシャ彫刻などそれまでのいわば外界世界と通じ、第1信号系との調和を図ろうとする作品表現は否定的になり、むしろ脳内第2信号系の規律に従おうとする傾向になる。そのためには人々を新羅万障の自然世界と隔離する方策が必要となる。重要となってくるのは外界世界の自然から人々を遮断する大伽藍である教会建築に人々を隔離し、ステンドグラスから降り注ぐ光の荘厳さを演出することによって、独特な宗教的世界を創りだすことであった。中世とは、キリスト教の教典という左脳言語系と深く繋がる前頭葉意識が外的自然以上に厳格な環境となって人々を支配していくのである。余談だが、東洋と異なる西洋の「自然」対「人間」という対立軸での自然観はこのような流れで出来上がってきたのではないだろうか。
 時系列的に展開する言語の支配は、当然ながらそれと性格の類似する聴覚-運動系を伴う音楽に通じていく。すなわち「聖歌」などの教会音楽が重要となっていく。言語の流れと音楽の流れは時間を媒介にして成り立つ。坂野登氏は左前頭葉と右前頭葉とは非言語コードで深い繋がりがあることを神経心理学的事実から推測している。すなわち、ブローカ野と空間運動プログラムの音楽野は深く繋がっている、と。ちなみに左前頭葉のブローカ野が壊れると運動性「失語症」となり、右前頭葉が損傷すると「失音楽症」となり、歌えなくなる。
 さてそのように、キリスト教は聴覚-運動系を重視し、言語による規律を増しながら、第1信号系が基を成す第2ブロック同時的総合空間図式を抑圧する。当然ながら後頭葉視覚野を主エリアとする視覚芸術である美術が衰退していくはずである。
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<157-F200号制作過程;題名「フェローチェ」>
F200号制作過程。テーマは音楽。彩色を始める。
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 時代は過ぎ、ギリシャやローマの神話をテーマとし、一見生々しい人体を借りた彫刻や絵画がある。それらは脳内過程(様々な連合野の連携)の総合的な表出とみる。この時代の神話性は一種の宗教観の現れであり、それは理想美の追究となって現れる。この時代の理想美とはなにか。言語機能を駆使して作り上げられた定型化したイリュージョンとしての“イデア”であり、前頭葉の機能である目的論の高次の現れである。理想を追求するもとを成す記憶は、ユングの称した集合的無意識の類いであり、それは実は、取り巻く社会的背景のもと、可塑的な脳の持つ機能的構造によって作り出された記憶であるということを忘れてはならない。さらにその制作には集中的で持続的な視覚野や手の触覚的な体性感覚野を含む連合野の訓練を必要としただろう。理想的な肉体を作り出す表現は運動系を中心とした、いわゆる手続き的記憶としての高度の技術力も必要とされるものである。
 私はこのギリシャ彫刻に芸術作品が作り出されるひとつの理想の姿をみる。そこには脳と身体、言い換えれば大脳新皮質から生み出されるイリュージョンを外界世界へ表出し、そのイリュージョンと変換された具体的視覚イメージとの調和がある。そこには高次機能としての連合野の機能がフルに発揮されている。西洋ではその後、長い「中世」という価値観に向かい始める。次第に絵画や彫刻において運動系の表出は少なくなっていく。
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<156-F200号制作過程;題名「フェローチェ」>
F200号の制作過程を掲載。テーマは音楽。先ずは下描きデッサン
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 「アルタミラ洞窟壁画」がある。野牛、トナカイ、マンモス等が、生き生きとした写実的描写で表現されている。これらはほとんど後頭葉視覚野での事象が作用している。日中の狩猟時のきめ細かな観察が脳内に投影され、一対一対応で後頭部の視覚野にそのまま投影した視覚記憶としての残像を表現している。現代のように目の前にモデルを置いて描いたのでは無く、記憶残像を表現している。表現者はパブロフの云う理想的な第1信号系優位の芸術家像であろうか。その写実的表現欲求もまさに第1ブロック情動系からわき出るパワフルな合目的的な欲求があるからだろう。現代のように写真やTVに頼らない5万年前の人類は、犬や猫の嗅覚同様、眼球から後頭葉視覚野へ至る視覚能力は現代人と比較にならないほどあったに違いない。
 時代は移り変わり、エジプトやメソポタミア文明での形式は様々である。単純化されたスフィンクスなどの立体像、陶器などに描かれた形式的な人物図像もあれば、超写実的な絵画がある。これらは(乱暴に云わせてもらえば)あるものは旧石器時代の繁栄や豊穣を願う呪術的観念性の発展系であり、またあるものはアルタミラやラスコー、シャーベなどに残されている写実表現の発展系であり、或いはこれら2方向の融合形式と云えるだろう。
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<155-F200号制作過程;題名「フェローチェ」>
F200号の制作過程を掲載。テーマは音楽。先ずは下描きデッサン
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 さて、いわゆる具象画とは第1信号系の織りなす事象であり、第2ブロック右脳系に無意識に蓄積されている空間図式が、時には外界事象を中心にまとめられ、時には側頭葉記憶系を中心にまとめられ、前頭前野の指示のもと、第3ブロック運動系のプログラミングによって表出されたものである、と定義できよう。(脳の「ブロック」、「信号系」の概念・考え方は、文献研究(坂野登氏著書「意識とはなにか」「無意識の脳心身理学」等)により16年11月27日~12月11日のエッセーに掲載)
 旧石器時代で、繁栄や豊穣を願う女性像や埴輪がある。これは種の保存を願う“思い”が呪術信仰に現れたのであり、生物学レベルでは、遺伝子にプログラムされた「生の合目的的」な定位反射が、大脳に及ぼした意識と考えることが出来る。これらの像の様式は写実的ではなく、後頭葉視覚野での機能はあまり作用していないであろう。側頭葉の記憶野が大きく関わる。その記憶は視覚を通して得た第1信号系の事象が脳内で、合目的な生への欲求、つまり第1ブロック情動系によって変形され、強調されたものであろう。また第2信号系のように細部はこぼれ落ち、省略化する。その脳内事象を通して観念的に表出されたものである。
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